こんにちは!

RENKO代表の浜島です。

自他の境界とは何でしょうか?

「我思う故に我あり」

デカルトが提唱した有名な命題ですね。

世の中は不確かなことで溢れていて確かなものはない。
しかし、それを不確かなものとして疑っているという自分自身は確かなものだ!

というような意味ですね。

別に哲学について語りたいわけではないのですが、「自我」を理解するのに分かりやすい概念だと思い取り上げてみました。

私達は世界を「情報空間」として認識しています。

物理的空間に「実在」するものやしないものを、「存在」として認識して作られた世界を「情報空間」と呼びます。

つまり、各自が作り上げた「情報空間」のことを「自我」と言っているんです。

この「実在」と「存在」というのは、似ていますが異なる概念です。

これをある程度理解しないと、自他の境界が明確にならないので、ちょっとだけ突っ込んでみます。

このことは実在論で哲学的に検証されてきていますが、そんな難しいことを言いたいわけではないので簡単に解釈してみます。

・実在とは、物理的実体を伴う事象です。
・存在とは、観念的に個々が認識した事象です。

実在するものを、存在として認識できるとは限りません。

例えば、大マゼラン星雲での超新星爆発で生じたニュートリノが、カミオカンデによって世界ではじめて検出されたわけです。
実在はしていても、存在は認識されていなかったわけです。

存在を認識できるものが、実在しているとは限りません。

例えば、夢を見ている人は、そのときその世界を現実として認識しているわけですが、その世界は物理的実体を伴っていません。
存在はしていても、実在はしていないわけです。

「情報空間」に話を戻します。

・私達は、五感を通じて世界の存在を認識し、情報を蓄積しています。
 →この世界の認識という概念には、意識によって捉えられないことも含みます。

・情報は蓄積される際に、過去に蓄積した情報との比較衡量によって再編成されます。
 →インパクトの強さや繰り返し数の多さにより、蓄積の優先度合いは上がります。

ざっくりというと、このようにして私達の「情報空間」、即ち「自我」が形成されていきます。

さて、「自他の境界を無くせば施術力が上がる」という話ですが、相手の情報空間と自分のとの区別を無くせば「相手の情報空間にアクセスできる」ということです。
つまり、相手の認識している世界(情報空間)を、こちらの認識に入るので、相手の状態(症状)が自分のことであるかのようにわかるというわけなんです。

相手の症状がわかれば、あとはどう対処すればよいかだけ。

どのようにして相手と自分の区別を無くすかは、また機会をあらためたいと思います。

それではまた!